キミが笑うから、わたしも笑う。
 何気ない日常が一番大切なんだって。




 On the way home




 好きだとか愛してるとか、誰もが言うありきたりな言葉はこの気持ちには似合わない。もっと奥の方でぎゅっと掴まれるような、苦しくて息が出来ないような、だけど不思議と暖かくてなんだか優しい気持ちになれるような、そんな私の恋心。ふわふわと、何もかもがあやふやでまるで小さい子供のように幼い気持ちであなたを想う私をあなたはバカだって笑うかな。



「いる?」

 振りかえるより先にそれが佐伯の声だってわかった。クラスの男子が「おい、」って私を呼んで、私は立ちあがってドアの方へ駆け寄る。

「帰ろ」
「あ、ごめん私今日日直だ!」
「そうなの?じゃあ待ってるよ」
「ごめんねー」

 手を合わせて謝ると「早くね」って私の頭をポンって撫でた。目を細めて笑うその笑顔に一瞬のうちにかあって顔が熱を持ったことを感じた。照れてるの気づかれないように俯いて、「じゃあ後で」って行って駆け足で席へと戻ると後ろでくすくす笑う声が聞こえる。ほんとにわかっててやるから、タチワルいのこの人。


「今日も佐伯くん迎え来てるんだ」
「え、あーうん」
「この幸せ者めっ!」

 天誅って言って麻奈ちゃんが私の頭を軽く小突いた。佐伯のことでからかわれるのは別にこれが初めてじゃないけど(むしろいっぱいある)、いつまでたっても慣れなくて、なんだかくすぐったくて私は曖昧な笑みを浮かべた。麻奈ちゃんは「愛されてるよねーは」ってしみじみ言う。


「べ、別にそうでもないと思うよ?!」
「バカ。佐伯くんの顔みたらわかるじゃない」
「えー」
「だって佐伯くんの前だと表情優しいもん」
「嘘だぁ」

 そんなことないよ!って必死になって否定した。だって、ねえ。佐伯は誰にだって優しいし、誰にだって笑顔をくれる人だもの。私だけ特別とか、そういうのはないんじゃないかなって思う。


「だって佐伯君のこと超好きだって感じじゃん」
「……そうかなー」
「もー、あんたもっと自信持ちなさいよね」
「うんー」


 麻奈ちゃんは私の返事が気に入らなかったらしくなんでそうなのよーってちょっと呆れた声を出した。だって、そんな風に言って貰えるのは嬉しいけど(ええ大分)、なんか私達の付き合いってかなりあっさりしてるし、あんまそう言う風に思わないんだもん。

 ちらりと振りかえって佐伯の様子をうかがうと、彼はドアにもたれかかってまっすぐとこちらを見ていた。視線が合って、ひらひらとニコニコしながら手を振る佐伯に私も小さく手を振り返した。麻奈ちゃんは呆れながら「いつまでたっても初々しいよね」って言った。

「もう付き合って3ヶ月とかでしょ?」
「あー、もうそんなになるのかぁ」


 彼に好きだと言われたのは熱い夏の日だった。その日私は図書室で調べものがあったため、夏休み中だというのに学校へ登校した。佐伯は休憩中だったらしく、水飲み場でタオルをかぶったままごくごくと水を飲んでいた。私に気づくと、久し振りじゃん。どうしたの?ってあの人懐っこい笑顔を浮かべて言った。図書室に用があるの。という私に彼はそっかと相槌を打つ。その後ちょっとだけ世間話をして、黒羽くんの彼を呼ぶ声を合図に私はじゃあと切り出してその場を後にした。数メートル歩いたところで急に腕を掴まれて、「俺と付き合ってくれない?」って突拍子もないことを言われた。何を言われたのかわからなくて、ただ呆然とする私に佐伯は「好きなんだけど…」って頭をかきながら言った。


『えーっと、熱くて頭ぼけた?』

 有り得ないと思った。だって私と彼の関係はただの元クラスメイトで、本当に接点なんてなかった。廊下ですれちがったら挨拶を交わす、それだけの関係だった。


『……それ普通に失礼』

 ぷって吹き出して佐伯は答えた。まじまじと私をあの綺麗な瞳で見つめて、「好きなんだ」ってもう一度先程の言葉を繰り返す。瞬間有り得ないほど自分の顔が熱を持って、心臓が高鳴ったことを感じた。


 あの日から、私達は始まった。



「よっし、終わり!」


 最後の項目、今日の一言を書いて私はガタンと席を立った。麻奈ちゃんにじゃあねって言って日誌を押しつけた。途端にしかめっ面をする彼女に「私書いたから渡すの麻奈ちゃんね!」って言うと「しょうがないなあ」って溜息を漏らしつつも、引き受けてくれた。ごめんね。だけど一応麻奈ちゃんも日直だしさ。佐伯あんま待たせちゃ悪いし。

「明日ねー」
「じゃねっ」

 麻奈ちゃんに挨拶をしつつ、佐伯の待つ入り口へと駆け寄った。佐伯はポケットに手をつっこんだまま眠そうな顔で軽く欠伸をする。


「ごめんね。お待たせ!」
「ほんとに遅い」
「っわ、そういうこと言うかな普通」
「待ってる間眠くなったし」
「もうっごめんってば」
「ジュースの奢りな」
「えー」


 右を向くと満面の笑み。不覚にもその笑顔に見惚れてしまう。女の子みたいに白い肌とか、楽しそうに細められる瞳とか、テニスやってるだけあってがっしりしてる肩とか。本当にどれも心臓に悪い。


「私今月ピンチなんだけどなー」

 不自然にならないように視線を逸らす。缶ジュース。そういえば佐伯はポカリよりアクエリアス派だったな、なんて思い出しながら言った。口では否定の言葉を言っても、頭の中では私は何呑もうかな。とか考える自分を少しバカだなと思いつつ、かわいいじゃんかとも思う。(…多分)


「来月助けてやるよ」
「………それはありがとー」
「俺アクエリね」
「はいはい」

 予想通りの彼の言葉に笑みがこぼれる。途端何笑ってんの?って佐伯が聞いて、私は別にって答えた。だけどまだくすくす笑う私を佐伯は納得行かない様子で変な奴って言った。


「さむっ!」


 そんなやり取りをしつつ、外に出たら風がびゅうってふき抜けた。まだ11月だというのにこの寒さは有り得ないだろう、と思う。辺りを見るとみんなマフラーやら手袋をしてて、私も何かきこんでくればよかったなあと軽く後悔をする。


「もー、やー。さーむーいー」
「そんな寒いの?」
「寒いって!」


 体をこすり合わせながら言う私に佐伯は少し考える素振りを見せた。心なしか、歩くスペースも遅くなった気がする。どうしたんだろうと疑問を抱きつつ敢えてつっこむことはしなかった。だって佐伯が何か考えてるのはいつものことだ。そしてそれは私には到底理解できないことだったりするから、突っ込むだけ無駄だったりするのだ。

 もう時刻は5時を回っていて、辺りが薄暗くなっている中私と佐伯は肩を並べて歩く。

 次の交差点の自動販売機でジュース買わなきゃなー、なんて考えていると不意に佐伯が口を開いた。


「手、繋ぐ?」


 私は驚いた。慌てて右を歩く佐伯を見ると佐伯は前を向いたまま「っていうか繋ぎたいんだけど」って言った。うわ、と思った。


「え、えーっと」
「だめ?」
「や、ダメだなんてことは」

 私は右手で持っていた鞄を左手に持ち替えて、右手をおずおずと差し出した。佐伯はポケットから左手を差し出して、私のそれをぎゅって握った。


「わ、何で佐伯の手こんな冷たいの!」
「の手は熱すぎ」
「やー、寒いー」
「俺は暖かいもん」
「…ずるくないですかそれ」


 佐伯の手はびっくりするほど冷たかった。てっきり暖めてくれるんだろうか、などと思ったけどこれじゃあまったくの逆だ。寒いという私が彼の手を暖めている。佐伯は「いいじゃん」ってわざわざ私の顔を覗きこんで笑顔で言った。確信犯っぽく細められた瞳に心臓が一際高く跳ねた。


「っていうか、なんか恥ずかしいんだけど」
「そう?」
「だって、みんな見てるし!」


 ここはまだ学校からそう離れていなくて、通学路の途中なのだから周りには六角生徒が一杯いて。しかも佐伯は女子から注目を集めてしまう人だから、視線がちくちくと痛い。


「やーもー」
「でも暖かくなったでしょ?」
「……冷たくなった」


 文句を言いながらもしっかりと佐伯の手を握る私に彼は笑った。佐伯の手は冷たかったけど、佐伯と手を繋いでるんだって事実が有り得ないほど私の体温を上昇させて実際手には熱を帯びているのだから、暖かくなったと言っていいだろう。だけど、それを認めてしまうのは何だか悔しくて。


「私今日は午後ティーのあったかいのにする」
「一口頂戴な」
「えー」
「ケチくさいよ?」
「奢ってあげるじゃん!」


 君と共有できるこの時間が愛しくて嬉しくて。
 いつもと同じ、代わり映えしない毎日なのに君がいると鮮やかに彩って。

 なんだか凄い幸せで、ちょっと泣きたくなっちゃったことは秘密。

 ずっとそばにいてはなさないでねわたしのだいすきなひと。