紺地に赤い花を散らした浴衣を買って。半帯も下駄も巾着だって赤色に揃えて。
 普段は下ろしている髪はアップに纏めて、赤い髪飾りをつけた。
 唇には薄いピンクのグロスを塗って、ビューラーで軽く睫毛を上げる。
 ガサツで口も悪くて可愛げの欠片もなかったあたしが、珍しく女の子女の子している今日は。
 地元自慢の花火大会の日。
 一週間も前から、ううんホントはずっと前から楽しみにしていて。
 今日という日を心から待ち望んでいたというのに。
 それなのに。

「……嘘でしょー…」

 思わず呟いた言葉が空しく宙に響き渡る。
 花火大会、当日。
 残酷にも窓の外から見える景色は。
 ――――大雨だった。




線香花火、弾けて消えた。




「今年はお前浴衣着ろよ」

 それは今日から丁度一週間前の出来事。
 いつものように、汗まみれになりながらドリンクの準備をしていると、後ろからバネに声をかけられた。
 バネの的を射ない発言にあたしは何よッと怪訝な顔つきをする。けれどバネはそんなの全然気にしない調子で言葉を続けた。

「花火大会に決まってンだろが。今年もみんなで行くだろ?」

 八月初めに行われる花火大会。
 毎年行われるそれ目当てに余所から観光客が来るほど大掛かりなもの。
 夏祭りはみんなクラスの友達だったり彼女だったり、と別々に行くんだけど、花火大会だけはテニス部の仲間と一緒に行くのがいつからからお決まりになっていた。
 だから、何の疑いもなく「うん、そりゃ毎年恒例だしね」と答える。ここまではわかる。
 けれど、どうにも解せないのは次にバネが発したセリフ。

「だからお前浴衣着てこいよ」
「…………なんで?」

 今まではあたしはずっとジーンズにTシャツだ。
 だって終わった後は近所の海に行って、コンビニで買いこんだ花火をみんなでするのがお約束。
 浴衣なんて着て行ったら騒げないじゃないという意味を込めて眉を潜めるあたしに、バネはため息を一つ零した。そして、大きく息を吐いて、いいか?とあたしの肩をがっしと掴んだ。簡単に触れてくれるなっての。

「少しはアピールしとけっつってんだよ」
「はぁ?」
「チャンスだろ? 二人っきりにしてやるから」

 ………………。

「…何の、話かしら黒羽くん」

 嫌な予感。
 まさか。まさか。まさか。
 ありえない。だって、これって、すんごい、なんか、

サンが佐伯クンを好きだっつー話だよ」
「!!!!」

 ―――何でバレてんの!?
 突然のことで、一瞬言葉を忘れた。思わずまじまじとバネを見つめてしまう。
 けれどすぐさま正気に戻って、慌てて周囲を確かめた。
 アホバネッ!こんな目立つとこでイキナリ言うヤツがあるか、そんな話題をっ。

「心配しなくたって誰も聞いちゃいねえって」

 わははと豪快に笑いながらあたしの背中をばしばしと叩く。痛いんだよ馬鹿力。
 けれどバネの言う通り、幸い辺りには人影一つ見当たらなくてあたしはホッと胸を撫で下ろした。そしてすぐさま、あんた何馬鹿なこと言ってんのよ!と天誅のエルボーをバネの腹に食らわせる。途端に聞こえるいてえ!って低い呻き声にあたしはますます眉間の皺の数を増やした。

「本当は対して痛くないでしょーが」
「いや、マジ痛ェって。お前女ならもっとしとやかに振舞え!」
「何よ! しょっちゅうダビに飛び蹴り食らわせてるあんたにだけは言われたくないわよ!」
「俺は男だろが」
「そんなの偏見ッ。だからモテないんだよ、あんたは」

 あたしが事も無げにそう言うと、どうやら地雷だったらしくバネはうっと言葉を詰まらせた。
 言わなかったけど、知ってんのよ。あんたがクラスで一番可愛い子に振られた話。
 ふふふっと悪魔の笑みを浮かべるあたしの頭を、バネはうるせーと言いながらぐしゃぐしゃにする。
 ギャー髪のセットがー!と騒いでみたら、元からボッサボサだととのお言葉が。
 むっかつく!とわめくあたしに、ハハハとバネは声に出して笑う。

 そんなことを繰り返していくうちに、話題が何時の間にか変わったことにあたしは気づいて。
 ああよかった。と心底安心していたら、そんなあたしの気持ちを見越したようにバネはにやりと笑った。
 余計な一言、余計なお世話はこいつのためにある言葉なんじゃないだろうか、と本気で思った。

「とにかく浴衣でも着て、…まー無理だろうけど色気出してみろって!」
「無理って何よ無理って」
「ハハハ」
「笑って誤魔化すな!」
「サエも喜ぶかもしれねえじゃん」
「! あのね、あたしサエはどうでもいいんだけど」
「バレバレだぞお前」

 バネの言葉にあたしはどうしたのもかと一瞬のうちに考えを巡らせる。
 今までずっと誰にも言わずに隠し通してきたつもりなのだけど(だって、よりにもよって乙女の憧れ王子様、なんて騒がれてるサエに惚れたなんてすっごく恥ずかしいじゃない!)、鈍いです、と見るからに顔に書かれてそうなバネにバレるほど、あたしは分かりやすい態度を取ってきたのだろうか…
 いや、断じてそんなことはない。自分の過去の行動を振りかえってみるものの、思い当たることは一つもない。
 もしかしたらバネはカマかけてるだけなのかもしれない。
 そう思って、あたしは誤解だよ、と小さく笑う。本当のところ、笑う余裕なんてなかったんだけど、こういうのはムキになって否定するよりも、軽い感じで流した方が効果的だと考えたのだ。

「ほーう」
「浴衣もさ、どうせみんなで花火するし、苦しくて好きじゃないんだよ、あたし」
「へーえ」
「だから今年もいつものカッコかなー」

 作戦成功か!?と内心でガッツポーズを取るものの、それを表情には出さないであたしはあくまで自然に話した。それに、ただでさえ男軍団の中に女一人で注目浴びるってのに浴衣なんて着ていったら、気合い十分って感じじゃん、と諭すと、バネはにやにやした顔つきで(こういうとこホントバネって親父くさい)(お前は見合い好きの上司かっての!)、そうだなぁ…と相槌を打つ。……だから、一体なんなのよその表情は!

「あのさあ、」

 じとりとバネを睨みつけて、バネを振った女の子の話をして苛めてやろうかと思っていたら、
 ―――唐突に後ろから声が聞こえた。棘のない優しい声。振りかえらなくてもすぐわかる。
 わかってしまうのだ、あたしは。

「何サボッてんの? 二人とも」

 ――――サエ。
 ああもうッほんと、最悪のタイミング…!

「あたしはサボってないよ、バネはサボりだけど」
「ドリンクの準備終わってないよね? 喉乾いたんだけど」
「(くっそー…、ほんとあたしコイツのどこが好きなんだ)」
「ちゃんとしなきゃダメだろー
「(お 前 の せ い だ ろ !)」
「で、バネは練習をしてない、と。天根が困ってたよ」
「うっ」

 サエの厳しい言葉に、気まずそうに頬を掻くバネにあたしはべーと舌を出して、ドリンクの準備に戻る。
 けれど、次に響いた言葉にあたしは思わず振り向いてしまった。

「ちょっと、花火大会の話してたんだよ、なー

 ……むかつく! そのにやけ顔をなんとかしなさいよ、あんたは!
 そうツッコミたい気持ちをなんとか抑えて、あたしは「まぁね」とため息と同時に言葉を吐いた。

「あー、そういえばもう来週だよな。今年もみんなで行くだろ?」
「あたぼーよ。も彼氏いねえしな」
「! うるっさいなあもうあんただっていないでしょ!」

 なんでわざわざそこを強調するのかなぁ、この人は…!(いや、嫌がらせだってわかってんだけどさ!)
 もうホント最低デリカシーのかけらもない。だから振られるんだよ!と言えたらどんなに気持ちがスカッとするんだろう。そう思いながらキッとバネを睨みつけると、バネじゃなくてサエの方があたしに言葉を寄越した。
 何ではそんなに怒ってんの? ……だとさ。…うっ、ほんと失態。(今更かもしれないけど) なんか、しばらくはこれネタに落ちこみそうだ、あたし…(ちくしょうバネのせいだ!)

「や、別に何でも、あはは」

 自分でも白々しいと思う笑みを浮かべながら、あたしは視線を宙に泳がせる。
 けれど、次にバネがまさに閃いたという顔をして告げた言葉に、あたしはピシッとこめかみの辺りが引きつったことを感じた。

が浴衣着てくるんだとさ」
「何勝手にきめてんだよ、あ ん た は !!」
「いいじゃねえか、減るもんじゃねえんだし」

 否、そんなことない。減る。絶対減る。
 大体イメージってものがあると思うのよ。そりゃあたしが小柄で顔とかも可愛い系だったりしたら、嬉々として着てくさ! 浴衣でも何でも! だけど、生憎あたしはそんなタイプじゃなくて。制服のスカートでさえ違和感感じてるくらいなんだから、浴衣なんて似合うわけないじゃん!
 なんだか、…自分で言ってるうちに本気で虚しくなって、だけどそれを表には出さずに声を荒げるあたしに。本当の本当の本当の意味での爆弾発言が耳に響いた。ただし、それはバネの声じゃなかった。


「俺もの浴衣姿見たいな」


 にっこり。
 そんな効果音が聞こえてきそうな、満面の笑みで。


「可愛いんじゃない? 楽しみにしてるよ」


 ………………………。


「サエ、練習始めるのね〜」
「あ、ごめん樹ちゃん。すぐ行くよ。じゃっ」


 ………………………。
 …………やっっばい。お世辞だって、ただの社交辞令だって、ちゃんとわかってる。
 わかってる、けど…


「良かったなぁ?」
「……………」
「"可愛いんじゃない? 楽しみにしてるよ"」
「……………」
「(うわ、反応なしだコイツ)」


 それは、バネの全然似てない(ほんと月とすっぽん)サエの物まねに僅差に反応できないくらいには衝撃的だった。サエの声がぐるぐると回る。

 ―――ヤバイ、今、絶対顔赤い。








 そして自分でも単純だと思いつつ、部活が休みな翌日、あたしは一人で近所のデパートに浴衣を買いに行った。絶対冷やかされるし、かわかわれる、似合わないなんて言われたらどうしよう…と不安な気持ちを抱えながらも、やっぱりサエの言葉が嬉しくて(ほんと、恋する乙女ぶっちゃってやんなる)、ウキウキしながら、店頭に並ぶたくさんの浴衣を見定めた。赤やピンクや黄色、といった明るい色の浴衣は着られない。だってそんな可愛いキャラじゃないんだ、あたしは。
 なるべく大人っぽくて落ちついたものをうーんと唸りながら探していると、ある場所であたしの手は止まった。紺色の地に少し大きめの赤い花が散らされたそれ。可愛いんだけど、可愛いだけじゃなくて、なんだか色っぽい。
 半帯と下駄は従姉妹のお姉ちゃんがくれたものがあるし、しかもそれらは赤色だ。ぴったり、だ。

「有り難うございました」

 帰りに誰かと出くわすんじゃないだろうか、とドキドキしながら、あたしはその日家に帰った。
 浴衣なんて、着たの何年振りなんだろう。
 すごくすごく不安だったんだけど。
 でも、もしかしたら褒めてくれるんじゃないか、とか。とてもくすぐったい気持ちだった。
 恋する乙女全開な自分を鼻で笑いたくなるような、そんな気分。
 だけど、どこか愛しいような、そんな微妙な気持ち。
 とにかく、楽しみだったんだ。ガラじゃないとわかっていても。






 だというのに。







「何で今日に限って雨なのよー…」


 雲行きは怪しかったけど、さっきまでは雨なんか全然振ってなくて。
 しっかりと真新しい浴衣に身を包んだ自分がひどく滑稽だった。かなしい。かなしすぎる。
 普段しない化粧までしちゃったっていうのに!!


「あらー、これじゃあ今日は中止ねえ…」
「(いわないでよおかあさん!)」
「せっかく可愛くしたのにね、勿体無い」

 そう、なのだ。勿体無い。ほんと勿体無い。
 ありったけの勇気振り絞ってみたのに。やはり慣れないことはするもんじゃないよ、っていう神様のお引き合わせなのだろうか。いや、あたし別にキリスト信者じゃないけど。無宗教だけど。思わずそんなことを思ってしまう。

「………はぁ…」

 あたしがため息を吐いたのと同時に、巾着に入れておいた携帯(ほんと準備万端だったんだって、あたし)が軽快なメロディーを奏でた。ああ、きっと中止のお知らせね…と思いながら出ると、案の定聞こえてきたのはバネの声だった。あーあ。

『…暗いなー、お前』
「…まぁね」
『雨降っちまったもんなぁ…』
「うん」
『残念だったよなあ』
「ほんと最悪だよね」
『お前どうしてんの?』
「ふっ、聞いて驚くな?」
『なんだよ』

 すぅっと息を大きく吸って、あたしは叫ぶように言葉を発した。

「ばっちり浴衣着ちゃったわよ!」

 一瞬、沈黙。
 そしてすぐさま。

『ハハハハ、マジかよ!!』

 ……別にいいわよ、自分でもネタとして言ったし! あたしの浴衣姿みて惚れるなよ、とか言っちゃうくらいの勢いよどうせ。……だけど、聞きたい。そこまで受けがとれることなのか、これは。
 なんだか、本気で泣きたくなってきたんだけど……
 ちくしょう馬鹿バネ! 恋する女の心は繊細なんだ! ナイーブなんだっつの!

『っはぁ、笑った』
「あんたってホント失礼だよね…」
『まー気にするなって』
「………」
『あ、せっかく着たんだしお前それ脱ぐなよ』
「……何で」
『雨上がったらみんなで花火できるかもしれないねーだろ?』
「ああ!」

 そっか。そういう手もあるんだ。
 と、一瞬ぱぁっと顔を輝かせてみるものの………

「やっぱり、変じゃないかな…!」

 と、今更心配になってしまった。だって、ほんとどうせ馬鹿騒ぎするのに何浴衣なんてきてんだよお前ッとか突っ込まれたらあたし死んでしまいそう。どうしようバネ…と情けなく呟くと、バネは、サエが喜べばそれでいいだろ、と言う。そしておまけに俺は笑うけど、なんて付け足してくれやがった、こいつ!

「…………」
『嘘だよ、ショック受けるなよ』
「……本気に聞こえた」
『あー悪ィ悪ィ、大丈夫だって。』
「…………」
『あ、んじゃあな。後でまた連絡するから』
「ちょっ、」

 ―――切れた。
 まあ、別にバネに慰めてもらおうなんて思ってないけど、さ…
 もうちょっとあるんじゃないの? とは思う。そんなんアイツに求める方が間違いだってわかってるけどさ…

「つうか、止むのかな」

 止むどころかさっきよりも数段強く地面を叩きつける雨の音を聞きながら、あたしはため息を零した。







 あたしの必死の祈りが通じたのか、雨は二時間ほどで上がった。
 時間もそんなに遅くはないし、これならみんなで花火もできそうだ。……ちなみに、浴衣はまだ脱いでない。そう思うと、どうしようもなくドキドキしてきた。
 バネに電話して今日の予定を聞いてみようか、とテーブルの上に放り出しにしておいた携帯を手に取る。
 だけど、あたしが触れたのと同時に鳴り始めるそれを、あたしはビックリして落としてしまった。何てタイミングだ。
 まず間違いなく、バネだと思って画面を確かめもせずに、もしもし、と電話に出た。
 けれど、声の持ち主はバネじゃなくって。

『あ、? 俺だけど』

 ―――あたしの片思い相手だった。
 あんまりにも驚いて、声が、出ない。

? 聞いてる?』

 今まで一応お互いメモリにはいれてるものの、連絡なんてとったことなかったのに…!
 くそう、これ絶対バネの差し金だ。どうしよう、ドキドキする。

「あ、うん、聞いてる聞いてる」
『そ? んじゃ、迎えに行くから』
「ええ?!」
『…やっぱ聞いてなかったんじゃん』
「いや、うん」
『結局さ、みんなで花火することになったから』
「そうなの? やった!」
『だから今から十分くらいで行くよ、そっち』
「え、何で?」

 別にわざわざ迎えに来てもらわなくても大丈夫だよ、と言った後すぐ後悔する。
 馬鹿だな、あたし。せっかくの機会なのに、なんでこんな可愛くないことばっか言うんだ。
 けれど、サエはくすりと笑って。ぬけぬけと言い放った。

『女の子一人で夜道は危ないだろ?』

 ―――こ い つ … !

「……さすが王子名乗ってるだけのこと、あるね…」

 脱力しながらあたしがそう言うと、サエはなんだよそれッと低く笑った。
 うそ。もうほんとうそ。前言撤回。
 迎えになんて来てもらわないほうがいい。
 だって、心臓もたないもん。これ。





 ピンポーンとインターホンが鳴ったのはサエが言った通り、それから十分後のことだった。
 パタパタと玄関に駆け寄るお母さんを押しのけて、あたしだから!と慌てて、けれど玄関前の鏡で自分の格好をチェックなんかしちゃったり。…ほんと、どこの恋する乙女だよ、って自分で笑っちゃう。

「お待たせ!」

 玄関前には右手をポケットに突っ込んで、左手でコンビニのビニール袋を手にしたサエが立っていた。
 あたしの姿を見るなり目を見開く。……なんか、微妙な表情。

「ホントに着たんだ」
「あ、まぁね」

 ………なんだよ、やっぱり冗談だったのか…
 しかも視線を合わしてくれない。自分が乗せておいてその態度はなんなんですか。佐伯くん。
 なんだかそれだけで浮かれていた気分がずーんと落ちこんだ。ちらりと、何か言えよっと思いながらサエの方を見てみるものの、目が合うと、サエはさっと視線を逸らしてしまった。…おちこむ。

「今年も海でやんの?」
「いや、きっと雨でぐしゃぐしゃになってるだろうから、駐車場の近くでやろうかって」

 ふーん、と呟く。どうやら、欲しい言葉は貰えないらしい。
 なんであたし浴衣なんて着てきたんだろう…と凄く虚しくなってきてしまった。
 やっぱりいつものジーンズにTシャツってカッコが良かったかなあ…って。
 もしかしてイキナリ女らしくしたの、すっごい逆効果だったんじゃないのかなぁ…なんて。
 なんだかとても泣きたくなった。



「ここだよ」
「……え、でも、」

 辺りをちらちらと見やる。サエに連れられたそこは人気もなくて確かに花火をするのには絶好の場所なんだけど。あたしが気にしてるのはそんなことじゃなくて。全然違うこと。

「みんなは…?」

 あたしはてっきり、一度みんなで集まってからサエがあたしを迎えに来てくれたものなんだとばかり思っていたから、そこに誰もいないのが不思議でしょうがなかった。あたしらが一番なの?とサエのシャツを軽く引いて尋ねた。暗くてサエの表情はよく掴めない。サエは、あー…と頭をがしがしとかく。

「ごめん、嘘ついた」
「え? なにうそって」
「……ホントはみんなで、じゃないんだよね」

 一瞬、サエが何って言ったのかわからなくて、は?と声を漏らすと、サエは、まぁとにかく花火しようよ、と誤魔化すように袋から取り出したそれをあたしに差し出した。いや、ちょっとまってそれどころじゃなくって!と喚いてみても、サエの毒気の無い声で、はいっと差し出されるとそれを受け取らないわけにはいかなくて。
 しばらくの間、あたし達は黙って(いや、全く会話がなかったわけじゃないんだけどさ)、花火をした。
 たくさんあったかのように思えたそれは、あっという間になくなって。残ったのは、線香花火だけだった。線香花火ってなんか切ないよね、とあたしが言うと、サエは、うん、と低く笑う。なんだか、すごい居心地が悪かった。
 こんなに、ドキドキしながら花火したの、あたし初めてだ。

「あの、さ」
「うん」

 チャッカマンで花火に火をつけて。
 あっという間にぱちぱちと火の花を咲かせるそれをジッと見つめる。
 サエの、顔なんか見れるわけがない。

「今日、かわいい」

 ぽつり、と呟かれた言葉に、ええッなんてあたしはあからさまに驚いてしまって。
 ポトリと、落ちた線香花火をサエがあーあ、なんて言いながら次のをはいっと差し出す。
 だまってそれを受け取るものの、手はおぼつかないし、顔は赤い。どうしよう、すんごい熱い。

「最初、驚いちゃって何も言えなかったんだけどさ、可愛いよ」
「……それはどうもッ」

 うそだうそだぜったいうそだ。
 驚いたんなら、そんなさらりと言葉が発せられるか。今なんて、すんごい普通に言ってるじゃん!
 そうは思っても、どきんと煩く高鳴る胸のときめきは抑えることができなくて。あたしはぱちぱちと燃え上がる線香花火をただジッと見つめる。



「今日、みんなに譲ってもらったんだ」
「え、何を?」



 真っ直ぐと、あたしの方を見て紡がれた言葉に、あたしは返事を返すことが出来なかった。
 だって、ちょっとまって。そんなこと言われたら、あたし、期待しちゃうよ。
 さっきので、ぐんと浮かれてしまったのに。


「だから、あいつらは海で男ばっかで花火やってんじゃないかなぁ」
「…………」
「俺さ、バネとが仲良いの見て、結構嫉妬してたんだよね」


 ………どうしよう。
 なんか、いま、すごい、


「…………どういう意味…」
「そーゆー意味」
「……わかんない…っ」


 あたしはいつも馬鹿騒ぎして。口だって悪いしすぐ手も出すし。
 着る服はいつもジーンズにTシャツで。しゃれっ気なんか全然なくて。
 他の女の子みたいに、好きな男の前で可愛い態度なんかほんの少しもとれない女で。それが、どうしようもなく悔しかったけど。だけどずっとこんな風に生きてきたから今更変えられるわけがなくて。


「好きなんだよ、のことが」


 そんなあたしが、好きな人の、たった一言で、泣けちゃう女だなんて、ねえ、知ってた?
 悔し紛れに、バカ…と呟いてみたら、サエの線香花火がポトリと落ちて。それと同時に感じたのは、一瞬の熱。


「……サエって手早い! 最低!!」

 本当は嬉しくて嬉しくて仕方がないのにそれを言うほどかわいくはなくて、照れ隠しにギャーギャ―と喚くあたしをたしなめるように、サエは。少しだけ顔を赤くして。

「初めてなんだけど?」

 小さな笑みを顔に浮かべながら、そう言った。
 そんなの絶対嘘だってあたしは問い詰めようとしたけれど、すぐにまたサエの顔が近づいてきて。
 唇に感じたのは、さっきよりも、少しだけ長い、儚い熱。
 やっぱり手早いッて文句はサエの笑顔によってかき消されてしまった。

 残された線香花火は、ぱちぱちと音を立て、やがては消えた。