あたしの気持ちになんて気づいてくれなくていいからどうか幸せになって。




 曖昧ラプソディー




 体がだるくて、マラソンなんてやってらんねーって思ったから、屋上にサボりに行った。
 とりあえず、フェンスに手をついて、すぅっと大きく深呼吸。
 下見たら、クラスの子達一生懸命走ってた。
 あたしは何故だかそれ見たら笑いがこみ上げてきちゃって、くすりと小さく笑った。
 どっこいしょ、なんて自分でもおばさんくさいなあって思いながら、片隅の、
 ちょうど死角になっているところに腰を下ろした。すると。


「……あっれ?佐伯ー?」


 銀髪の少年がごろんと横になっていた。
 あたしの声にむくって上半身だけ起こして、眠そうな顔でぼーっとこちらを向く。



「……ああ、か」
「ああって何さああって」
「あはは、突っ込むなよ」
「だって、反応微妙過ぎたじゃん? あたし悲しかったわー」

 泣きまねしながらそう言うと、君は口だけ上げて笑った。
 なんか、テンション低い。

「あんた授業は?」

 そう聞くと、今日は出ないよ。って、平気な顔して言う。
 割と成績優秀な君だったから、少し意外だった。

?」
「あたしはこの時間だけ。今日マラソンなんだもん」
「ああ、全然体力ないもんなー」
「うるさ!うるさ!!」


 あたしは去年、佐伯と同じクラスだった。
 席が一度隣になったことから、話すようになって。
 俗に言う「友達」って奴だ。
 気がねなく話せる雰囲気をもつ佐伯は、男女ともに友達は多かったので、
 何もあたしが特別って訳じゃあ決してない。
 だけどあたしにとって君は特別で。
 あたしはキミのこと、好きだったりする。


「だってお前去年とか普通に最後だったじゃん」
「もーうるさいな!違うのアレはやる気なくて走らなかっただけなの!」
「ふぅん?」


 佐伯はからかうような眼差しでこちらを見据えた。
 声は面白そうに上がったけれど、でもなんか。
 頭では違うこと、考えてそう。って私は思った。


「それに有り得ないよ。5キロなんて私走れねーもん」
「走ろうよ」
「佐伯は部活で慣れてるから余裕だろうけどさー」
「ま、あれくらいはね」
「うわ!嫌味ったらしい!」
「そんなことないよ?別に」


 佐伯は欠伸をしながらぐいーって伸びをした。
 そしてそのままあぐらをかいて、にっこりとこちらを向く。
 だから、なんかその笑顔が怪しいんだってば。





 あたしがこの男を好きだと思ったのは、去年の、夏だ。
 その日は凄く気温が高くて、日はかんかんに照っていた。

 月曜だったから、朝の朝礼なんてのがあって、校庭で馬鹿みたいに長い校長の話なんてのを聞いてた。  そこで急に、足元がぐらついて、倒れそうになったとき、後ろにいた佐伯がさっとあたしの体を支えてくれた。頭ん中、恥ずかしさでいっぱいだったあたしに、「後ちょっとだから、がんばれ」ってずっと支えててくれた。幸い、あたしは女子の最後尾で、佐伯は風紀委員だからそのまた後ろで。あたし達に気づいたのは男子の最後尾の子、だけだった。貧血で倒れることも、ここで保健室に行って注目浴びることもいやだったあたしは、佐伯がずっと肩を貸してくれたことが凄くありがたかったんだ。
 結構色々気使ってくれてるんだな、って頼もしく思えたの。


「話しやすい奴」って思っていた君を好きだと思ったのはきっとこの日から。




「つか今日寒くない?」
「さみー」
「だよねー?まだ秋だってのにさ」
「もう気づいたら冬とかになりそうだよなー」
「……切ないなそれ」
「俺、一個年食ったし」
「ああ、老けたね」
「老けたなあー」


 ぼんやりと空を見ながら言う佐伯。
 冷たい風が頬を通り越して、あたしは肩をすくめた。
 ほんと、今日はさむい。

 佐伯は体をこすりあわせるあたしに「そんな寒いの?」って聞く。
 その問いに「寒い」って答える。
 したら佐伯「んな寒いのに屋上でサボるなんてアホだな」って笑った。
 あたしだって保健室でゆっくり寝たかったさ、だけど満室だったんだからしょうがないじゃない。
 って言ったら、声を立ててあはは。と笑う。

 あたし、やっぱりキミのその笑顔は違うと思う。


「………佐伯さー、今日元気なくね?」


 言おうか言わまいか迷った言葉。
 君はこんな風に必要以上に干渉されるの、嫌いだって知ってる。
 だって肝心なトコ、いつも隠してるから。
 人を惹きつけるくせに、絶対境界線なんてものを持っていて、君は人を避けるから。
 だけど、あたしはキミのそんなとこも見せてもらいたいって何時だって願ってるんだよ。
 そんなのあたしのエゴだって、知ってるけど。


「別に、そんなことないよ」


 佐伯はまだポーカーフェイス、崩さないで、
 やっぱり笑ってない目のままで笑った。
 何言ってんの、高原。って、そう言えば俺明日テストだ。ってごまかして。


「……なんか、あったんじゃないの?」


 あたし意地悪だからさ、こーゆーとき、見逃してあげない。
 しつこい女。って嫌われるかもしれないけど。
 あたしの目の前で寂しげな目なんて見せた、キミがいけないんだよ。


 佐伯はぽりぽりと頭をかきながら、「別に何もないって」ってちょっと困ったように笑った。
 ごめんね、ほんとごめん。
 そんな顔させたい訳じゃないんだ。
 ただ、弱音を履かない君だから、たまには全部ぶちまけて、すっきりした方がいいんじゃないかなって。願わくばあたしにそんな一面を見せてくれないからって。


 ただの、あたしの、ワガママなの。




「…………」
「…………」

 居心地の悪い沈黙が続く。
 いいわけの、言葉がもう出てこない時点で、隠すことは無理だと諦めたのか、
 佐伯ははあ。と小さい溜息を漏らした。
 あたしは佐伯の一挙一動も逃さないようにじっと君を見つめた。





「―――ほんっと、って嫌な性格してるよな」





 ぽつりと。
 うなだれながら言う。
 あたしは、それ見てやっぱりな。って満面の笑みを返す。
 だって、もうちょっと、頼ってくれてもいーんだよ?


「で。どうしたの?」
「……んなウキウキしながら聞くな」
「滅相もない!あたし、これでも真面目にあんたのこと心配してんだから」
「ほんとかよ」


 ほんとです。
 だって、あたしがどれだけ君のこと、見てると思ってるの。
 クラス変わっても、ちっとも色あせないこの思いにどれだけ涙を流してると思ってるの。
 だからね。






「……………振られたんだなー、俺」








 そう、キミが、あの子のこと。
 想ってるコトも、キミがあの子のことで胸を痛めてるコトも。

 実は、知っていた。






「………告ったんだ?」
「まあね。結構脈ありかなとか思ってたら全然でやんの」
「……そう」
「難しいよなー。恋はー」


 うん、ほんとだね。
 だってキミがもし、あたしのこと好きでいてくれたら、
 あの子がもし、キミのことが好きだったなら。
 君は辛い思いをせずに済んだでしょう?

 きっと、もっとちゃんと笑えていたはずでしょう。


 神様は意地悪だ。
 残酷なこと、平気でやってのける。
 みんながみんな、うまく行くわけないなんて、わかってるけど。
 どうして、この人なの。
 どうして、あたしじゃないの。



「佐伯」
「ん?」


 佐伯は俯いていた顔をあげた。
 不意に見えたその瞳はやはりどこか寂しげで。
 こんなときまで笑顔を作ってしまう君が凄く、痛々しくて。
 ――――愛しくて。


「叫ぶ?」
「はは、何で」
「だって、辛いときは叫ぶべきよ!あんた、泣けなそうだし」
「ばれるだろ。普通に」


 そう言って顎でくいっとフェンスをさす。
 確かに、今は授業中で、あたしのクラスはマラソンなんてクソめんどいことやっていて。
 こんな所でそんなことをしたら、きっとカンカンに怒った先生があたしらを連れ戻しにはしってこの扉を開くだろう。でも、それは凄くウザイけど。


「たまにはそーゆーアホなことやるのも、楽しいかもよ?」


 笑ってやった。
 わざと、挑戦的な目で、挑戦的な笑顔を見せた。
 キミは、「そうかもな」って、やっぱり寂しい笑顔を見せる。


 ずきんと、胸が締め付けらた気がした。
 きっと、君にこんなこと聞かずに、いつも通りの会話をしていたら。
 あたしはこの痛みを知らなかっただろう。
 きっと笑って君の隣にいれただろう。

 それを自分で壊して、勝手に傷つくあたしを。
 キミはバカだって。
 笑う?
 それとも。
 迷惑だって。
 拒絶する?








「………ワリ、ちょっとだけ背中貸して」







 そのまますくっと立ちあがって、あたしの背後に回る君は、
 どすんあたしの背中に体を預けた。

 背中にかんじるキミの体温は、とても暖かくて。
 なんだか、凄く泣きたくなるあたし。
 ここで泣いたら君はバカって、あたしを笑ってくれるかな。
 それとも、一緒に泣いてくれるかな。



「佐伯」
「…んー?」
「明日があるさ」
「はは、そうだな」
「早く、次の恋見つけなね?」
「………考えとく」



 あたしはぎゅっと自分の手を握って。
 君の幸せを願う。


 あたしの、気持ちになんて、気づいてくれなくていい。
 君は、君の幸せを。
 君だけの女の子を。

 無理して笑う必要なんてない。
 泣きたいときに我慢する必要なんてない。

 キミの全部を見せられる大切な人を。



   どうか、見つけて。  






 きっと泣けないキミの変わりに、あたしが泣くから。
 そんなのお前のエゴだって。
 笑ってくれていいから。



 ―――――願わくは、あなたが幸せになれますように。