「あーもう何でとれないんだろう!」

 思わずガンッと思いっきりガラスを叩いてやりたい衝動に駆られたけど、 そんなことしたってあの子が手に入るわけじゃないことは重々承知していたから、 私はしょうがなくボタンの上に手をついて、はぁ、と深く息を吐く。 一体いくら使ったのかなんて考えたくもない。取れないのなら、さっさと引けばいいと思うものの、 これだけお金をつぎ込んで、 それが全て全くの無駄に終わってしまうのが怖くてやめることもできない。 悪循環。策略にはまっている。

 ガラスにぺたりと手を貼り付けながら、中にいる愛しいあの子に視線を注ぐ。
 ダメだ。やっぱりかわいい。かわいすぎる。
 どう考えたって「早く僕を取って」とあの愛らしい黒目が私に訴えてるとしか思えない。
 待っててね、すぐ抱きしめてあげるからね…!

 今度こそ、と財布の中から先ほど両替した百円玉を5枚取り出す。
 この挑戦権を得るためにお札がどんどん消えていく。
 これで取れなかったら本当に不毛だ。

 私がその子を見つけたのは全くの偶然だった。
 ここは通学路なのだから、ガラスの中で横たわるぬいぐるみ達を見かけることは何度もあったけれど、 実際に自分で取ろうと思ったことは1度だってなかった。 元々私は騒がしいだけのこの場所はあまり好きじゃないし、 自分が、失敗するように作られてるとしか思えないぼったくり上等のこの憎らしい機械を上手く操作できるはずが ないこともよくわかっていた。重々承知していた。
 では、どうして私が今回に限ってここで20分もの足止めを食らっているのかというと、答えは至極単純だ。
 私がこの場所を離れられない理由。それは――― ミッキーやミニーちゃん、もしくはプーさんの定位置だったはずのそこに、私が1番愛してやまないあの子が、 ちょこんとこちらを見つめながら座っていたからだった。





 世 界 で 一 番 君 が 好 き 。






「あー、もー、やっぱ取れない!」

 何度目になるのかわからない挑戦に(また)敗れた私は、もういい加減へこたれそうだった。
 このままじゃ一生かかったってあの子を家に連れて帰ることなど出来ない気がする。
 けれども、あんなにかわいいのに、このまま放っていくなんて出来ない。
 あの子だってこんなけたましい音を鳴らすだけの場所で、ぎゅうぎゅうにつめられて窮屈な思いをするより、 私と一緒に家に帰った方が絶対幸せだと思う。間違いなく! だから、どうしたって諦めたくなんかない。諦めきれない。


(もうちょっと奥まで持ってった方がいいのかな)

 うーんと一唸りしながら、戦略を練る。
 そして慎重にボタンに手を添えて、クレーンをさっきよりも少しだけ奥にもっていく。
 ここ!ってところで手を離して、クレーンの先を開かせるボタンを押すと…………

「あーもう何で!」

 あの子の首に触れて、そして少しだけ持ち上げて、今度こそ!という私の希望を残酷にも神サマは叶えてくれなくて。ガクガクとぎこちない動きをしながら何もつかめていない役立たずのクレーンは元の位置へと戻っていった。私ががっくりと肩を落としたのは言うまでもない。
 そして私が次の挑戦をいどむかやめるかの瀬戸際に直面していたら、おそらく今1番遭遇したくないであろう相手の声が響いた。ぎくり、と体が固まる。

「へったくそ」

 …振り返るまでもない。いきなりこんなにムカつくことを言ってくる人間はきっと外にいない。
 ……というか、その前に、めちゃくちゃくやしいけど、私がこの男の声を聞き間違えるわけがない。

「ちょっと見てたけどさ、お前マジ下手すぎなんだけど」
「っさい! だって難かしんだもん!」

 隣で響く声にむっとして私は思わず声を荒げて反論する。
 きっと思っきり睨んでやれば予想通り、切原赤也が立っていて。
 しかも人を心底バカにしたような顔で笑っていた。
 …なんか、やっぱ、ムカつく。


「掠りもしねーとかありえなくね?」
「…うるさいよ?」

 きっと部活帰りなんだろう、肩にかけていた大きいテニスバックを切原はどかんと乱暴に地面に下ろして、機械に体重をかける。 なんだってこいつはこんなにここに留まる気満々なのか。 途端に私はいたたまれない思いでいっぱいになってしまうじゃないか。 ちょっとそこのところどうなんだろう。や、だってゲーセンの中ならともかくこんな外にあるUFOキャッチャーにばっちり足止めをくらってて、 しかも失敗してる姿を目撃されるとか、かなり恥ずかしくないですか。 よりによって、こいつに!  バカにしたような色を浮かべるその笑みがめっちゃくちゃむかつくんですけど!!

「いくら捨てたんだよ?」
「だからうるさいって!」

 ますます調子に乗ってからかってくる切原に、私がムキになって叫ぶと、切原はまるで勝ち誇ったかのようにニヤっとヤな笑い方をした。 ああもうほんと一生の不覚。弱みなんか見せるか!って日々この男に挑んでるというのに、なんだってこんなところで。 悔やんでも悔やみきれない。

 切原赤也はいわば私の天敵だ。
 なんだろう、誰にだって少なからず「絶対負けたくはない相手」というものがいるんじゃないかなと思うのだけど、 まさしく私にとってのソレが切原で。切原なわけで。とりあえず、この男にはかっこわるいとことか、まぬけなとことか、 絶対見せたくないとか私は思っているわけで。後はなんか、掃除当番サボるとことか授業中うるさいとことか、バカっぽいところに めっちゃむかついてて。だから、こんな風に偶然会うとかほんとありえないっていうか、困るっていうか。どうしたらいいのかわからなくなるってゆうか!

 例えば誰かに切原のことを好きか嫌いか問われたら、私は絶対嫌いだという。
 だけど。
 ………私は、別に切原赤也を、本当にきらっているわけじゃ、ない。
 多分、私はその事実に1番むかついている。
 だって納得いかないもん。


さー」

 そんなことを私がぐるぐる頭の中で考えていると、急に切原が それまでのどこか人をバカにしたような口調を消して、至極まともに声をかけてきた。 え?と思って横を見る。すると、切原はガラスにぺたりと手をついて、「お前どれ狙ってたの?」と私に聞いた。

「え、この手前のやつ」

 多少、面食らいながらも、私は、おそらく1番取りやすい位置に置かれている子を指差した。 距離が景品を落とす穴からさほど離れていなくて、狙ってくれといわんばかりの場所にちょこんと座っている。 改めてこの子を見つめて、やばい、やっぱりかわいいなぁ、と幸せな気持ちに浸っていると、それまでの私の努力を全否定する声が響いた。 思わず泣きたい衝動に駆られるくらい、容赦がなかった。

「や、これは無理っしょ」
「……なんで!?」
「後ろのヤツが邪魔してんじゃん」
「……」
「頭掴めても、安定しねーから、どーせ落ちんじゃね?」
「(そんな……!)」

 はっきりと告げられて、思わず視界がぐらりと揺れる。
 そっか、やっぱり無理でしたか。そもそも私UFOキャッチャーなんて滅多にやらないし。 予想通り、めちゃんこ下手でしたけどね! おっしゃる通り、何度も何度もどーせ落ちましたとも!
 なによ、わざわざそんな嫌みったらしいこと言いにこなくたって、いーじゃない! やっぱむかつく!
 けれど、もうわかった、私帰ります。そう、言葉を紡ごうとした矢先、切原が得意気に笑った。
 先ほどまでの人を小馬鹿にした哂い方じゃなくて、小さい子供がお母さんに運動会で1番になったことを自慢するような、笑い方だった。 ……思わず、奪われる。きっと全部。
 その顔は、多分嫌いじゃない。


「取ってやろっか」


 カツン、と拳で軽くガラスを叩いて、切原は私の顔を真っ直ぐと見つめながらそう言った。
 急に、どこか大人びた態度を取るのはルール違反だ。反則だ。
 私一人だけが、おいていかれる。

「えー、切原取れるの?」
「モチ。余裕っしょ」
「え、でもそれで失敗したら、あんた超かっこ悪いよ?!」

 自分の気持ちを誤魔化すために、こんなかわいくない態度を取るしかない私。
 そんな自分が嫌だともたまに思うけど、ここで素直に「取ってv」と言える女だったら、 最初からこんなややこしいことになってない。 正直に。この男に、告げるのだろう。
 きっと、そんなこと一生できない。







「なー、賭けしね?」


 てっきり、次に響くのは「じゃあ、もう知らね」という拒絶の言葉だと思っていたから、 私は驚いた。だっていつもの切原だったら、きっとムッとするところだ。 だって短気じゃん。例えご機嫌だって、変なとこですーぐへそ曲げて。
 その度に、私がどうゆう気持ちになるかなんて、知らないでしょ。


「賭け?」
「そ。」
「…あんた、私がいくら使ったと思ってんの?」
「ちげーよ、馬鹿。そんなんじゃねっつの」


 どうせ何か食いもんでも奢って、とか言うんでしょ、と続くはずだった私の言葉は、
 切原のネジが数本外れたとしか思えない発言によってかき消された。
 地球が滅亡するんじゃないかと不安になるくらい、ありえない言葉だった。





「これ取れたら、俺と付き合うっつーのはどう?」





「…………………はい?」
「どうなんだよ」
「え、や、え…?」


 あまりにも普通に、まるで何てことのないことのように切原が言うものだから、かけられた言葉を瞬時に理解出来なかった。 切原が何を言ったのか、もう1度頭の中でよく考えてみる。整理してみる。 私が今猛烈に欲しがっている、愛しいこの子を切原が「取ってやる」と言って。 私はそれに「取れなかったらはずかしーよ」と返して。そしたら、そうしたら。切原が………


 賭けをしよう、と。
 付き合う、と。
 誰と誰が?
 ―――私と、切原が?


「ありえない!!」

 私はそう叫ぶしかなかった。
 なんだってこいつはこんなに意地の悪い冗談を言うんだろうって思った。 からかうにしても度を過ぎてる。次に告げられるであろう、「冗談だよ、馬鹿」という言葉を聞き流せるほど、 私は人間ができていない。そんなに大人じゃない。そんなに余裕じゃない。 きっと、あんただけには言われたくない、言葉だよ。

「あ? ヤなのかよ」
「嫌ってゆうか、何であんたがそんなこと言い出すのかわかんないってゆっか!」
「………」
「え、だって、何アホなこと言ってんの!?って感じだよ?」

 だって切原私のこと好きじゃないっていうか。むしろ嫌いじゃんね?
 そんな風にずっと思っていた。それはこれからもきっとずっと変わらないことだ。
 私は、それでもいいと思っている。それが1番いいと思っている。
 だから、





「……ホントにわかんねぇ?」





 ―――お願いだから、そんな眼でみないで。





「悪いけど、引く気なんかこれっぽっちもねえからな」




 本当はちっとも悪いとなんか、思ってないくせに。
 人のペースを乱すのが、そんなに楽しいの?
 あんたなんか、大っきらい。

 そう、言えたらどんなに楽なんだろう。





 私の頭の中はもう真っ白だった。
 だから、黙って切原が100円玉を4枚コイン口に入れるのを見てるしかなくて。
 自分が、どちらを願っているのかも、もうわからなかった。


 切原は400円分入れたから、2PLAYができる。
 ぼんやりと、500円入れれば、3回できるうえ、100円お得なのになぁとかつい思っちゃって 一体自分は何を考えているんだろうって思った。期待してるとでも…? そんなことありえない。 ここでわざわざ切原を止めないのは、どうせ取れるわけがないと、そう思っているからだ。 ただ、それだけ。


 切原がボタンを押すと同時に、音を鳴らしながらクレーンが横に動き出す。
 ほんの少しの迷いも見せずに思いきりよく切原が操作するせいか、 クレーンも私の時とは比べものにならないくらい、機敏に動いているように見えた。


「あ!」


 切原はぬいぐるみのはじにクレーンの一方を合わせて、それを掴むのではなく、クレーンが戻る力でぬいぐるみを動かした。 え、うそ!?と思わず叫んでしまう。だってそのぬいぐるみは、景品口にとても近い場所に、移動されたのだ。 もしかして、この男めっちゃくちゃうまいんじゃ?と横を見て、驚いた。 だって、まさか、そんな真剣な顔をしてるなんて、思ってもみなかったから、戸惑う。


「……切原さ、」
「何?」
「…なんでもない」


 本当に、本当に、本気なの?
 そう、聞くことはできなかった。





 そして、2回目のプレイは1回目よりも早く終わった。
 切原は抜群のタイミングでボタンを離して、私があんなに苦労したのと同じゲームをしてるとはとても信じられない くらい、簡単にそれを景品口の中に落とした。かがんでそれを手に取る。私の心臓はどんどんうるさくなる。


 どうしよう、顔が上げられない。
 このまま、逃げ出してしまいたい。
 けれど、切原が私の思う通りにさせてくれるわけが、ないのだ。





 名前を呼ばれて、身体がびくりと固まる。
 けれど、顔は上げられない。
 自分がどうしたらいいのか、わからない。


「おい、
「………」

「………」
「………」

「…?」
「っ!」


 初めて下の名前を呼び捨てにされて、ますますわからなくなる。
 ずるいずるいずるいずるいずるい!
 ああ、頭が変になりそうだ。もうそれしか出てこない。
 そして、私は最大の過ちを犯してしまう。
 名前を呼ばれた驚きで、つい衝動的に顔を上げてしまったのだ。


「取ったけど?」


 当然のごとく、、ものすごく得意気に笑う切原の視線とぶつかって。
 もう、この男から逃げられるわけがないと私はとても強く感じてしまった。
 きっとこの男に捕まったのは、ぬいぐるみなんかじゃなくて。
 いとも簡単に、捕らわれてしまったのは、きっと。





「俺と付き合ってくんね?」





 私にはもう、差し出されたぬいぐるみを受け取る道しか残されてなかった。
 愛しいこの子を手に入れたことよりも、別れ際に切原がくれた「好き」という言葉の方が嬉しいなんて、
 そんなこと、ぜったいこの男にだけは言ってやるもんか。