なんて憎たらしい男なんだろう。







恋愛謳歌







「ちょっと赤也!」
「なんスか」
「話がある! ちょっと顔貸して!」


 無理やり腕を掴んでそのままぐいぐい部室へと引っ張り込んだ。
 後ろからは「ちょっ、先輩?!」と珍しくこの生意気な後輩の焦った声が聞こえてくる。勿論、私は不満を受けつける気はない。 今だってふつふつと煮えたぎってくるこの怒りを抑えるのに必至なんだから。自分を落ち着かせることでいっぱいだった。

せんぱーい?」

 けれど、コイツの調子のいい声を聞くとまたすぐにむかむかした気持ちがこみ上げてくる。
 私は、はぁと重いため息を零してから勢いよく振り返る。すると、赤也は何がなんだかわからないという表情をありありと浮かべながら頭をぽりぽりかいていた。
 そんなことにすらイラつく自分の扱い方がわからない。


「…何かあったんスか?」
「何もなかったら貴重な部活の時間を割いてまであんたを呼び出さないでしょ」
「っスよね。うーん、愛の告白とか?」


 ニッと意地の悪い笑みを浮かべながらふざけた調子で言葉を紡ぐ。
 よくもそんなことを軽々しく言えるものだ。モヤモヤする。むかむかする。
 コイツは私の神経を逆撫でする天才だ。


「うわ、先輩そのしらーっとした目で見んのやめてくださいよ!」
「じゃあどんな目で見ろと?」
「……先輩」
「なに」
「…もしかしなくても、ものすげー怒ってね?」
「そう見えるならそうかもね」
「……なんで? 俺なんかしました?」


 居心地悪そうにこちらを覗きこんでくる視線がなんだか癪で、私はまっすぐ赤也を見つめ返すことができなかった。 慌てて目を逸らす。逸らして、言葉を紡ぐ。

 脳裏に浮かぶのはひどく哀しい泣き顔。
 悲痛な叫びはこちらの胸まで痛くする。


「3年C組。
「へ?」
「…わかんないの?」
「俺の知ってるやつ?」
「……さいてい」
「ハァ?」


 私がぽつりと零した言葉に赤也は露骨にむっとした表情を浮かべた。
 かわいい後輩だと思う時もあるけど、私はコイツのこんな風に不機嫌を隠そうと微塵も思わないところが盛大に気に食わない。 いつだってコイツは自分を中心に世界が回っていると勘違いしている。なんて生意気。むしろ生意気。これで年下だっつーんだから、マジで始末に負えないのよ。

(自分のたった一言が、どれだけ人を傷つけるかなんて気にもしたことないんでしょ)


「…告白されたんじゃないの」
「…あ! あーわかった思い出した」


 私がそう言うとやっと合点が行ったようで、すっきりとした顔をする。
 そんなに簡単に忘れられるものなの? そんなにどうでもいいことだったの?
 ぐるぐる回る。あの子の声が。泣き声が。ぐるぐる回る。


「アレ? でもなんで先輩がそんなん知ってんの?」
「……」
「あ、友達?」
「……」
「つか、同じクラスか」


 何でもないことのように問いかけられて胸がぎゅっと痛んだ。
 何だか眩暈がする。怒りのせいなのかそうでないのかすらわからない。
 どうしようもなく、やるせない気持ちだけがいっぱいになる。溢れてしまいそう。


「……泣いてたよ」
「ハイ?」
「あの子は、赤也に振られて、泣いてた」
「………」


 彼女が赤也を好きってずっと前から私は知ってた。
 別に相談されたわけじゃない。でも毎日フェンス越しにラケットを一心に振る赤也の姿を見に来ていたことなんてずっと前から気づいていた。 赤也の動きと一緒にフェンスにかける指の力を強くする彼女の横顔を見て、「ああ、本当に好きなんだな」って凄い実感した。
 人の恋路に口を出す気なんて以前の私ならさらさらなかったけど、一生懸命に赤也を想う彼女を見ていたら、ほんの少しでもいいから力になりたくて。 雑談の途中に「赤也が好きなの?」と気づいたときにはもう聞いていた。答えなんてわかりきっているくせにそれでも口にしてしまう自分を馬鹿だと思った。 けれど、彼女は別に気を悪くしたような素振りは見せず、ただ、うんってはにかむように笑った。私にはできない微笑み方だった。彼女の気持ちを強く感じる、感じてしまう笑い方だった。


「…んなの、仕方ねーじゃないっスか」
「うん。仕方ないよ。でも、」
「何、オッケーでもすりゃーよかったんスか。好きでもないのに?」
「そうじゃなくって!」


 思わず声を荒げる。手をぎゅっと握る。背中にじわりと滲む汗。
 赤也の言っていることは正しい。人の気持ちなんて誰かに左右できるものでもない。
 恋愛感情もないのに付き合ったって彼女が虚しくなるだけだ。
 けれど、思う。私にすがるようにして泣いた彼女の顔を思い出して。つよく。ひどく強く思う。


「どうして、もっと優しく振ってあげられなかったの…?」


 一生懸命だった。彼女はとても一生懸命だった。
 赤也なら私の後輩だし、紹介しようか?と言う私の言葉に首をやんわり振って、そういうの好きじゃないから自分で頑張るよ、と柔らかく笑った。 ただまっすぐ赤也を好きだった。立海大のテニス部だから。レギュラーだから。顔がいいから。そんな外面だけで、赤也にきゃぁきゃぁと騒ぐ女の子達とは一味も二味も違っていた。 赤也のいいところをよく見ている子だった。だからこそ、苦しい。赤也が彼女に冷酷にも告げた言葉はまるで私の胸にも強く突き刺さるようだった。赤也のせいで泣いた子が、ひどく傷ついた子がいるのに、赤也はその子の名前もその事実も知らないだなんて、こんな話ってあるんだろうか。ものすごく残酷じゃない。

 いつも通りに、へらへらした笑みを浮かべてブン太と騒ぐ赤也を見たらもういてもたってもいられなくなって。 気づいたら私は赤也を部室に引っ張り込んでいた。


「赤也があの子を好きじゃないのは仕方ない」
「………」
「…でも、もっと言葉、選んであげなよ」
「…えらぶ?」
「好きな人にウザイって言われたら、すごい傷つくの当たり前じゃん」


 うーん。
 俺先輩のこと知らないし、ずっと見てましたとか言われても
 正直重いっつうか、
 って何で泣くんスか。泣かれても俺どうにもできねぇし。
 …あー…ウゼェ。



 泣きじゃくる彼女の話を聞きながら、頭の中で赤也の声がぐるぐる回った。
 どんな顔をしていたのか。どんな声だったのか。容易に想像できた。思い浮かんだ。
 思い浮かんで、苦しくなった。胸がいたくなった。


(だってきっと赤也はわたしにも)




「…話は、それだけ。これからはもっと真剣に考えてあげなよ」


 数秒の沈黙の後、私は今にもこぼれ落ちてきそうな涙を堪えながらそう言った。
 くるりと踵を返す。話は終わった。言いたいことは全部いい終えた。
 これ以上、この場にいたくなかった。けれど赤也はいつも。いつも。いつだって。
 私の望みに反する態度をとる。なんて生意気な男なんだろう。


「何でアンタにそんなこと言われなきゃいけねーんだよ」


 こちらが思わず驚いてしまうくらい、冷たい声だった。
 吐き捨てるように言う。ちっと舌打ちをする。
 私は怖くて振り向けない。どんな顔をしているかなんて確かめられるわけがない。
 ぴりぴりとした空気が身を襲う。気を失えたらどんなに楽なんだろうって思った。


「第一、女なんてすっぐ泣いて」
「……」
「ウザイもんはウザイんだよ。それが悪いんスか?」
「…なんなの、その開き直り」
「つーか、先輩の友達が泣こうがわめこうが正直どうでもいいし」
「っなにそれ!」


 あまりにも平然と言葉を零すから、頭にかぁって血が上って私は思わず振り向く。
 けれどそれは失敗だったとすぐ思った。真っ直ぐな眼差しを向けられてしまえば。わたしはもう簡単に捕まる。捕まってしまう。 動くことすらできない。指先すら思う通りにならない。ただ、固まるしかなかった。私の大きく息を呑む音だけがしんとした部室に響いた。
 沈黙を破ったのは赤也の方だった。不意に零した言葉がじんと胸にしみこんでいく。


「どうでもいんだよ」


 じっと見る。ただじっと。赤也は私を見た。
 何処か、拗ねたような顔だった。子供がお気に入りのおもちゃを取られた時に見せる、あの顔だと思った。頭の中で警報が鳴る。今すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


「好きな女以外、どうでもいい」
「……そんなこと、私に言われても」
「…んだよ、それ」


 頭の中がパンクしそうだった。
 私は赤也のこんな顔知らない。いつも生意気で。年下のくせに人を見下した態度で。すっぐ調子に乗って。 そんな赤也が、どうしてこんなに切ない顔をするんだろうって思った。苛々と切なさが混じった苦しい表情だった。 そんなに強く誰かを想っているんなら、それだったら、彼女の気持ちだって。

(わたしのきもちだって)



「…赤也が例えどうでもよくたって、あの子は、赤也のことが、」


 そんなこと本当はちゃんとわかってるんじゃないの?
 そう、言葉は続くはずだった。続くはずだったのに。
 不意に落ちた声はひどく切なくて。弱々しかった。










「…好きです」


 まっすぐと、私の瞳を見据えながら赤也は言った。
 あまりにも突然のことで。思いがけない言葉過ぎて。私は声を失っていた。
 何を言われたのかわからなかった。信じられなかった。これは夢だと思った。
 けれど確かに耳に響いた声はとても、とても切ないもので。
 何処か苦しそうに私を見つめる赤也の瞳は確かに揺れていた。


「アンタのことが好きだ」
「………」
「…ちゃんと聞いてんスか」


 ぐるぐる回る。くらくらする。
 容赦なく襲い掛かる眩暈に倒れてしまいそうだった。
 だって有り得ない。どう考えたって有り得ない。結びつかない。
 赤也の気持ちが。信じられない。


「む、むり…っ」
「…無理って」
「だって、は私の友達だし」
「……」
「そもそも、赤也が私好きっつうのは有り得ないっていうか…」


 私がやっとの思いでそう言葉を言うと、赤也はきっと眼つきを変えた。
 睨むような眼差しを向ける。乱暴に私の腕を掴む。低い声を落とす。
 まるで夢の中の出来事みたいに、全てがあやふやだった。


「何だよそれ」
「……赤也?」
「アンタ、俺に説教かましといて自分はその態度なわけ?」
「………」


 私と赤也は違うじゃない。
 そう言いたかった。そう言うつもりだった。
 けれど、乱暴に掴んでいたはずの赤也の手の力が弱められて。
 手が優しくなって。…というより、不安げだったから。
 瞳がとても。とても切なく歪んだから。





「俺が欲しいのは、の気持ちだけなんだよ」





 私は、その言葉に頷くことしかできなくなったのだ。
 本当に本当に本当に。なんて憎たらしい男なんだろう。







 ――私は君に振り回されすぎる。